日本遺産 加世田麓 加世田郷

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【加世田血のくすり】の称呼はこの地が薩摩藩の【加世田郷】に区割りされていたからです。と説明しても県外の大多数の方は【郷(ごう)】って何?とあまり知られていません。
薩摩藩独自の外城制度である武家屋敷群麓(ふもと)は1784年に【郷(ごう)】と改正され廃藩置県が行わる明治4年(1871)まで続いています。薩摩の歴史を色濃く残す行政区画の【郷(ごう)】、幕末維新で活躍する西郷 大久保など【薩摩二才(にせ)】どももこの【郷中教育】で学んでいます。
また魔除けの石碑【石敢當(せっかんとう)】、大陸発祥で琉球を通じ薩摩に入ってきたものとされています。沖縄鹿児島に多く見られ鹿児島県で1153期確認されている一つが青木家屋敷跡に現存します。古くは遣唐使船寄港地、江戸時代以降は密貿易の基地として栄えた坊津のすぐ隣にあり当時の異国の文化や技術のほか風習までもが入れ込んできたことが伺われます。
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